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2009.03.1122:40

「青の魔性」引用

・・図書館に返す前に引用しておきます。w

「私は”普通の女性”に興味をもてない男である。別に肉体的な欠陥や精神的な障害があるわけではない。それは、私がある少女に「取り憑かれて」しまたからである。~私にとって、異性は、その少女以外にない。美しい女性や、性的魅力満点の女が身辺にきても、いつもあの少女の面影がオーバーラップしてしまう。」

「控えめな少女で、特に教師たちの間で話題になることもない、どちらかというと平凡な生徒だった。家庭も、ごくありふれた中流サラリーマンである。仲のいい友人もないらしく、クラスから離れて、シンと自分ひとりの世界に閉じこもっているようなところがあった。」
「だが、いつも人と目が会わないようにうつむけている面に注意してみると、誰に見られることもなく深山にひっそり咲いている高山植物のような、気品のある美しさを沈めていた。それは、人を寄せ付けない拒絶的な美貌であり、じっと見つめないと分からない、深所からにじみ出てくるような、ワンクッション隔てた魅力であった。」

「ところがそれから二ヶ月ほどは、何を描かせても、髑髏のような図柄ばかり描く。恭子を一人だけ呼んで、わけを聞くと、「手が勝手に動いてしまうんです。頭でいくら花を描けと命令しても、手のほうが勝手に動いてしまうんです」と答えた。~「あのこの内部には、何か屈折したものがあると思いますわ。誰にも覗かせない不可解な内面世界が。これがうまく発展すると、将来、すごい芸術家になるかもしれない」」

「初めての授業のとき、私が新任の挨拶をすると、恭子は、それまでうつむけていた面を上げて、射るような視線を、私のほうへ注いできた。それは冷たく澄んだ一筋の光の矢のように、クラスの一角から一直線に打ち込まれてきた。私は彼女に見つめられた顔の部分に痛みを感じたほどである。/この一瞬に、私は反町恭子に取り付かれてしまったといってよい。
「~恭子を担任した私は、さりげなく、しかし熱心に彼女を観察した。一見、恭子は普通の生徒と変わっていないようであった。だが、授業中、彼女は、ふいと放心してしまうことがある。/そんな時澄んだ秋の日差しのような彼女の視線から、熱感が失われ、焦点がかすんでしまう。確かにこちらを見ていながら、彼女の目は、私を超えてはるか遠方に向けられている。それは普通の距離の尺度では測れない、途方もない遠方を見ているような視線だった。/私は、彼女の見つめている遠方に嫉妬した。この教室にいながら、反町恭子の精神は、次元の違う場所にとんでいる。それはなんぴとも追随できない遠方である。/私は、自分の嫉妬を、彼女にふいに質問することによって癒そうとした。質問によって、強制的に私の前へ引きずり戻すのだ。」

「だが、恭子は、空腹でも、口にすることの出来ないなまの食べ物である。」

「「先生」恭子は、思いつめた顔をして、私の席の前に立った。「何だい?」私は、恭子と一対一でこんなに近く相い接したことはない。生硬ではあるが、膨らみかけた蕾の中に開花したときの美しさを十分に偲ばせる清純な魅力を秘めている。蕾の固さが、その魅力の稠密ぶりを物語る。/私は、いわゆる「食べてしまいたいような」愛しさを彼女におぼえた。その相手が、先方からおずおずと私に近づいてきた。決して自分のほうから人に近づいたことのなかった恭子が。」
「恭子は、ひたむきな視線を注いできた。その透明な炎のような、不思議な熱間を帯びたまなざしに見つめられると、私は、いつも背筋に悪寒のようなものを覚える。嫌悪のせいではなく、何かに魅入られたかのようなマゾヒスティックな快感と陶酔が、私をふるわせるのである。」

「実を言うと、今度の遠足は、私自身の楽しみでもあった。いつも教室の中でしか見ていない恭子を、あの神秘的なN渓谷の深遠のそばに立たせてみたい。きっと彼女の、みずぞこに静めたような美しさは、一億年の風化を刻んだ変成岩や碧瑠璃の淀の傍らにおかれて、音が共鳴するように、そのミステリアスな美の正体をのぞかせるかもしれない。」

「私はそのとき、私が真に愛していた女性は恭子だったことを悟ったのである。綾子は、恭子の代役にしか過ぎなかった。私は、綾子の熟れた肉体の中に、男の欲望を叩き込みながら、ついに触れることの出来なかった私の「永遠の女性」の面影を重ねていたのである。恭子も私をひそかに愛していてくれたのだ。だから私と母親の不倫の関係を許せなかった。彼女の死は、私に対する抗議であり、命をかけた断罪でもあった。」
「私は、その日から、全ての女性に興味を失った。星に恋した男のように、私は、水底に揺らめくような恭子の青い美しさにとりつかれてしまった。腕を伸ばせばすぐにも届きそうな先に沈んでいながら、決して届くことのない千尋の底に遠ざかった青い魔性の虜にされたのである。」

やばいっすねぇ・・
引用してみると良さに気が付きます。
私も恭子に会ってみたい。
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2009.03.1114:22

「美少女の逆襲」

唐沢俊一著

面白いです。かなり笑えます。
あと、少女考としてかなり参考になりました。

引用
大塚英志『少女民俗学』『たそがれどきに見つけたもの』
「大塚氏によれば「かわいい」という価値観は大量消費社会の仲での記号的価値であり、その内部に自ら自意識を封じ込める(あるいは消費社会によって封じ込められる)ことによって、時間(年齢)の概念から開放され、成熟を拒否できるという。/この場合の成熟とは、責任感とか、社会的義務とかいう言葉で表されるものが付随するそれだろう。/この理論によれば、少女という存在は「かわいい」という記号的価値観の中に完全に埋没しているがゆえに、既存のあらゆる権威、常識、概念から自由な存在であり、この不透明、不確実な時代の水先案内人足りうる能力を持つ、ということであるらしい。」

・・but,著者は、この大塚氏の本が出版されたのがバブルが崩壊する直前期で、だから現代の若者の感覚はそれとはちょっと違ってきている。むしろ、ストイックさとか不自由さに憬れる方面に向かっているんじゃないか、という指摘をしている。そういうストイックさや不自由さは、豊かになる前の時代に書かれた(本書で扱っているようないわゆる)少女小説に親しいものだ、と。

「・・少女小説の少女にとって、自分の性的魅力を誇示することは、決して許されることではなかった。/と同時に、少女たち、それは大人になることを徹底して拒否した存在である。大人というよりも、『女性』になることを拒否して、永遠にガラスの中で眠っている、白雪姫だ。」
「これが行きつくところまでエスカレートすると、~アンヌのように、処女懐胎を望むまでになる。」

「現代の少女たちにとって、成熟の拒否とは、少女の価値である「かわいさ」を過剰に意識し、身の回りをその「かわいさ」で徹底的に装飾してしまうことである。~あの、ピンクハウスブランドの服のフリルやリボンの中に埋もれることで、社会と自分を絶縁している。つまり、現代の少女の少女らしさ、とは「過剰」による装甲といえる。」

「ところが、少女小説における少女の価値観は、その「ストイック」なところなのである。彼女たちもまた、社会との接触を拒否し、自分を汚れないままの存在に置こうと考える。/しかし、その際に彼女たちの武器となる「少女」という価値は、女らしさの「欠落」によるものなのである。

「~少女小説の主人公たちは、それを拒否し、自分たちが大人としては欠落品の、清い部分を残した永遠の少女となることによって、自分を保とうとするのである。彼女たちは、現代の少女のように、その弱い部分を装甲しようとはしない。/むしろ、社会に対し、その弱い部分をあえてさらしているかのように見える。その部分を持っているということが、とりもなおさず、少女の証明だからである。/こういう、欠落部分を持った少女は、一見弱い存在である。しかし、彼女たちにとっては、その弱さが武器なのだ。」

「一見すると、少女を彼らが守っているように見える。しかし、よく読めば、彼ら彼女らは、みな、少女につき動かされていることがわかる。少女たち、それはあまりにか弱く、汚れた社会に対して免疫を持っていない存在である。/彼女たちを汚してはいけない。彼女たちを悲しませてはいけない。その思いにかられ、彼女は少女のため、奔走する。/彼らは、少女たちの持つ欠落を埋めようとする。しかし、それは同時に、自分たちの欠落をも埋めることになるのだ。清らかさ、けなげさ、純粋さという、自分たちが失った部分を、少女たちによって埋めてもらいたがっているのである。」

「おそらく、現代の少女にとって、最もかけている部分が、この「欠落」部分なのではないか。/彼女たちは、自らの論理の中で自己完結してしまっている。そこには、他者の入り込む隙間がない。未成熟のままでいたいという願望のために、世間とのコンタクトを断ち切るという手段をとらざるを得ないのである。」

(童子信仰の例、非業の死を遂げた伝説の少年たち)
「日本人にとって、そのような悲劇の面をもつものは、その悲劇性の度合いが大きければ大きいほど、それが逆転したとき、大きな力をもつと考えられていたのである。/日本は近代に入り、そのような悲劇性を持つ神を失った。少女小説に登場する少女たち(彼女たちは~「性」というものを拒否するがゆえに童子信仰とストレートに結びつく)によって、われわれは再び、信仰の対象を得たのではないか。」
「少女とは決して、現実における人間関係での交際の対象ではない。そこに少女がいることで、われわれの魂が清められる、そういう対象なのだ。」

「きれいごとばかりが展開する少女小説であるが、それが神の事跡の記録であれば、きれいごとでなくてはならない理由も理解できるだろう。/非現実なまでに、実社会で生きるための条件を欠落させた存在、それが少女という神なのである。」

(少女売春)
「これを少女というイメージの堕落と考える人もいるかもしれないが、この仲にも、日本人の少女信仰の名残は見てとれる。」

著者によれば、現代の少女漫画には、昔の少女小説の要素はなくなっているが、むしろ耽美小説といわれる少年愛小説群の中に、その要素が形を変えて入っているという。
で、現代において少女小説が復活する可能性、神としての少女が復活する可能性は大いにありうるのだといっている。

2009.03.0600:26

いろいろ、

最近は本ばかりです。
映画ももっと見たいけれど、なぜかうまく時間が捻出できない。。 うぅ、見たいのに、、

とあるサイトで紹介されていた「甘い蜜の部屋」という本を、読んでいました。
甘い蜜の部屋 (ちくま文庫)甘い蜜の部屋 (ちくま文庫)
(1996/12)
森 茉莉

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はじめのほう、主人公の少女時代のところが結構よかったかなぁ。50のおっちゃんを虜にする6歳児ってどんなんだ・・
中盤からは少女が女に成長してきてしまったので、読むのをやめてしまった。・・ああ浮気な読者よ。

けれど、、やはり女性の作家の文章は、男性のにはない独特の感性が展開されてて、それもなにかそのスタイルで完成しているので、すげぇ~。。と思ってしまった。
「彼がこう思っているということを、私はわかっているということを、彼は知っているということを私は知っている」・・調の文章が延々と続くのです。さすがは女。
そして、、ものすごく少女漫画チックな世界なのです。ほとんど全員なぜかハーフとか外人だし・・アレクサンドルだのドミトリーだのイワノフだのピーターだの・・ ここは広尾か!?
・・けれど、それはそれでやっぱり完成している感じなので、私はそれ以上何もいえないで感心してしまうのです。


・・最近、なんだか自分の求めているものがあいまいになってきてしまっている感じがする。少女のどういうところに、危険と誘惑と欲望と美を感じていたのか、なんだか分からなくなっているのだ。
やっぱりネクラソワに文学は駄目だったのか・・;;?
「これ、好き!」と身を乗り出して興奮する感じが、どうも最近あまりなくて欲求不満気味。。
はやく何か、どこかにぶつかってほしい。

2009.02.2800:27

「青の魔性」

青の魔性 (1977年) (新潮文庫)青の魔性 (1977年) (新潮文庫)
(1977/01)
森村 誠一

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森村誠一。
前から気になっていたロリータ小説です。
けれど、なにか期待したほどじゃなかった、、という印象。
個人的には、少女がアスペルガー症候群で、かつ、呪いをかけたりする超能力を持っているという設定があんまり好きじゃなかったかも。
魔力を秘めた近寄りがたいガラスのような少女、という感じはよく出ているけれど、呪いをかけるのはちょっといただけないなぁ。。
けれど、そういう普通と違った不思議な少女にとりつかれるように魅入られてしまうのは、よく分かるかも。
読んでいて、恭子のキャラが綾波レイにダブってきました。似ている、似ている。「青の魔性」まさにレイだ・・
小中学校通してネクラーだったnekrasovaとしては、あかるく元気な女の子じゃなくて、暗く陰のあるちょっと不気味なキャラクターに親近感を感じます。

ところで、この小説、主人公の小学校教師が、恭子の母親と肉体関係をもつというところが、なんだかちょっといかにもで・・生々しくて。「すぐ食べられる」体が目の前にって・・;;

恭子が先生のことがほんのり好きで、「先生も遠足にいかないで」と訴えるところが切なくて良いです。「なにいってんだよ(笑)」的に先生が恭子のほっぺたをつん、とつつくところも良いです。これぞプラトニックロリータ・・
2009.02.2323:42

「あきらめ」

図書館で借りた「田村俊子作品集1」に収録。
百合文学・・で検索していて知った作品です。

文語体をあまり読み慣れない私にとっては、ひとつひとつの情景を読み込むのはなかなか骨が折れたので、ざっと・・通読してみた感じ。

思った以上に、濃い・・!

他の部分はいかにも純文学らしくて格調高いにもかかわらず、
主人公の富枝と、美人の染子のシーンが、少女百合漫画チックなのが、なかなかミスマッチで・・
ふたりのシーンが出てくるところだけ特に、熱心に読み耽ってしまいました。

・・あと、主人公の兄の緑紫って人の、主人公の妹(義理の)・貴枝に対するロリコンぶりにも、おぉ・・!?と目を見開きながら読んでしまいました。
この15歳の妹というのがまた、妖艶なロリータ美少女らしくて、読みながらほくほくしてしまいます。
それにしても緑紫、37歳といういい年で、奥さんも持ちながら、少女に手を出そうと毎日のように誘惑しにやってくる様子には呆れてしまいます。
貴枝と二人きりになると、暗い道に連れて行って「頬を吸ったり」するらしい。げげ・・

主人公・富枝のキャラクターが好きです。男勝りの凛とした素敵な人。
一度も男関係が出てこないところがまたいいです。染子ひとすじ・・ (というか、染子のほうが入れ込んでいる感じですが)

そんな二人を見ていて、百合というのもなかなかいいなぁ・・と憬れるソワでした。
ソワも、高校時代(女子校)は、同性の美しい先輩や後輩に憬れたものでしたが、、
最近あまりそういう経験をしないようになってしまいました。
ソワが関心をなくしたのではなく、なんだか、あまり美しい人に接する機会がないからです。
出会いたいなぁ・・


・・岩波文庫でもでているらしい。
田村俊子はほかにも百合系のものを書いているそうで・・また機会があったら別のも読んでみたい。
あきらめ,木乃伊の口紅 他4篇 (岩波文庫 緑 112-1)
2009.02.1421:17

「隣の家の少女」

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)
(1998/07)
ジャック ケッチャム

商品詳細を見る


★★★☆☆

早速読んでみました。あまり興味ないかも・・と思いながらも、・・深夜に読み始めたら止まらなくなり、そのまま一晩で読破。(あの読書障害はどこへやら・・)

その読後感は・・・最悪・・・
次の朝起きたときの精神状態は、今年入ってから下から二番目か三番目ぐらいの気分でした。
・・読むんじゃなかった・・

昨日書いたような、「少年の少女に対する好奇心」のような牧歌的な風景は、ほんの始めのほうだけで、その後は専ら残虐な暴力シーンばかり続きます。ゲンナリ・・
後半のほう、主人公デイヴィッドががんばるシーンあたりは、冒険ものらしい感じで、わくわくしながら、手に汗握りながら読み進められたので、★をひとつ追加。

スティーブン・キングは大絶賛しているようですが、・・私は、この作品、小説としてそんなにいい出来栄えというわけでもないと思う。

読み終わって、ふと思ったこと
・残酷シーンは多けれども、「メグ」の体がどうなっているか、ということや、「メグ」の顔の表情とか声の調子、などがあまりくわしく描写されていないので、なんだか実感がわかない。いや、描写されてはいるのだけど、あまり自然でない・・?

・「ルース」がなぜあんなに急に豹変してしまったのかが気になる。「ルース」の描写も微妙で、いまいちその像がぴんとこない。

・「メグ」の描写もいまいちで、目の前にその少女の姿が浮かんでこない。もっと、彼女の魅力とか容姿を書き込んだほうが、感情移入できたかも。

・そもそも、なんで「メグ」があんな暴力を受けなければならなかったのかが、全然実感できないまま終わった。

まぁ、小説なんてそんなものなのか・・
私は基本的にフィクションはほとんど読まないで来たので、純粋なエンターテイメントとして小説を読む人とは、違った感想を持つのかもしれない。
そこに何らかの真実、、がない限り、その書物を信用することができないのが性分らしい。

けれど、これを読んで、世の中に起こっている悲惨なことや不条理なこと、ぞっとするようなことに、もっと目を向ける必要がある・・ということを知らされたので、読んでよかったのかもしれない。
きれいなものや美しいものだけ見ているわけにもいかないから・・
ソワにはもう少しダークサイドを見る目が必要だ・・
2009.02.1400:46

gogo to the library!

またしても本です。

あんなに読書嫌いだった私が、、いったいどういう風の吹き回しか・・?

・・今日は、「隣の家の少女」という小説を借りてきました。
amazonで散歩していたときに見かけ、ちょっと気になったのでメモしていたものでした。

さっそく、ちょっと読んでみたのですが・・
the violence....血・・傷・・欲情・・
う~~む。。
「隣の家の少女」の題名から、映画「隣の少女」的なイメージをもっていたのですが、大間違いだった・・
(nekrasovaは、ハードコアとかSMみたいなものが大の苦手です。感性が合わない・・)

ぱらぱら見た感じ、この小説、どうやら、「思春期少年の、少女に対する憬れ」をテーマにしているらしい。少女が主体というより、少女を見る少年の目が中心になっているようだ。(あんまり興味ないかも・・;)

二冊目は、「田村俊子全集1」。古いです。「百合もの」らしいです。
ネットで検索していて、「おすすめ百合文学」みたいな感じで紹介されていたので、気になっていました。
ちらちらっと見た感じ、少女二人がどっぷり主人公になっている模様。うーむ、こっちのほうは楽しみだ・・
映画「ひなぎく」に代表されるような、「ふたり少女世界」というものにズッポリはまり込んでみたいソワです。(実践となると面倒くさそうだから、いまのところはあくまでも脳内で・・)

・・それにしても近所の某図書館は使えないなぁ・・10冊ぐらい検索したのに、ほとんど他館所蔵だもの・・
2009.02.1222:38

「サッフォー 詩と生涯」

今日は、出先で思いがけない空き時間が出来てしまったので、その駅近くにある図書館で、気になっていた本のサーチをして時間をつぶしていました。
「世界の「美女と悪女」がよくわかる本」に載っていた、サッフォーのことが非常に気になっており、その詩をぜひとも読んでみたかったので、さっそく調べてみた。

沓掛良彦著「サッフォー 詩と生涯」
サッフォー―詩と生涯サッフォー―詩と生涯
(1988/11)
沓掛 良彦

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★★★★☆
前半はサッフォーの詩の日本語訳とその注釈、後半はサッフォーの伝記。

詩のほうは、ぱらぱらと拾い読みした感じだと、思ったほど過激な内容ではなく、雅やかで上品な、昔の詩らしい感じ・・これのどこにそれほどの少女愛が・・?まぁ、それっぽい言葉はあるけど・・みたいな。
けれど、目を通しながら、あぁきっと、原文で読んだらもっといろんなことがわかるのかもしれない、もっと衝撃的なのかもしれない・・と、もどかしい気分に。日本語の文語調がみやびすぎて、雰囲気がダイレクトに伝わってこないというか。・・
(あとでネットで調べると、「沓掛さんの訳が格調高すぎて、読むのに難儀した。新しい世代の訳が出てほしい」という意見もありました。結構同感です)
いっそ大学の図書館へ行って、原文を自分でも読んでみようか・・という気にもなりましたが、そんなに暇というわけでもない、微妙な位置。

次に注釈のほうも、詩と照らし合わせて読んでみました。
こっちのほうは、いろんな面白いものがたくさん転がっている森で、かなり満足。
これを読みながら詩をもう一度見直してみると、「そんな意味やったのか!」「そ、そんな・・(恥)」と、新たな感動が得られ。
サッフォーが少女愛主義者だ・・といわれるのも、よく納得できました。たしかにこれはちょっと異色の、ある怪しい世界だ・・けれど、破廉恥なとか厭らしい感じは全然なく、むしろ、サッフォーの、美しいもの達への目のくらむような憧れと愛情に満ちている・・

伝記のほうは、サッフォーその人についてのところと、レズビアニズムについての、気になるところだけ読んでみた。
読んでいて、どうもやはり、レズビアニズム(肉体も伴った)については、歴代の解釈者も沓掛さん自身も、あまり理解がないというか、あまり肯定的な感情を持っていないな・・という感じがずっと付きまとい。「そうじゃないって、少女を愛するっていうのはそんな心じゃないよ・・!もっと、こうで、こんなで・・」と、叫びたいようなもどかしさに駆られながら読んでいました。
解釈者たちは、サッフォーを、放縦で破廉恥な同性愛者・・という汚名から救うべく、彼女の愛はどこまでも精神的な高尚なものだ・・的な解釈をして擁護しているのですが、・・私から見ると、肉体的なものも含む愛がどうしてそんなに悪いものなのか?別にそれでもいいじゃない?という感じ。
・・やはり、女性と男性の世界の違いなのか・・
私には、美しい少女を愛でて歌を詠んだサッフォーの気持ちが、よくわかるけれどなぁ。

・・印象に残ったのが、
・サッフォー自身の姿は、ものすごく美しかったというわけではなかった、というくだりと、
・レスボス島は美女の産地として有名で、美人コンテストも開かれていたほど
というところ。

サッフォーの容姿について「背は低く、色が黒く、きわめて醜かった」という資料もあるらしい。(けれど他方で、魅力的な女性だったという資料もあるらしいので、なんともいえないようだ。まぁ少なくとも、万人の認めるような美女ではなかったというのは確かそうだ。)
そんなサッフォーが、美しい少女に対して強い憧れを持つというのは、わりと自然な流れなんじゃないかと思う。(nekrasovaも、自分がものすごい美人であったら、美少女おたくをやっていないと思う。自分の美しさを鏡に映して愛でたい・・ところを、なかなかそうはいかないので、別の美しい人を眺めてそれを満たす・・というのは、女性の心理としてはわりと普通なんじゃないかと思う。まぁ、あくまでも自分にこだわって、精一杯かわいくなろうと努力するタイプの人もいますが・・)

そして、ギリシャ屈指の美女の産地・・まわりはどこを見渡しても、美女・美少女だらけ・・そして、南国の自由で開放的な土地柄、女子だけの学校・・
そんなところに住んでいたら、サッフォーでなくても、そっちの世界へ足を踏み入れてしまうのは必然的ではないか・・?
nekrasovaは高校は女子校だったのですが、そこでも、どことなく、アンダーグラウンドでは怪しいものが流れている感じがありました。実際、nekrasova自身の源流もそこにありますし・・
(まぁ、このことは語ると長くなるので、また次の機会にします。)

というわけで、サッフォーそして少女愛への興味は、衰えることなく、むしろますます深まったのでした。
2008.10.0900:50

ラブドール・・!

南極1号伝説 ダッチワイフからラブドールまで-特殊用途愛玩人形の戦後史南極1号伝説 ダッチワイフからラブドールまで-特殊用途愛玩人形の戦後史
(2008/04/05)
高月 靖

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すごい気になる!読みたい・・!
というか、ラブドールなるものの存在をはじめて知った。
ダッチワイフという言葉も聞いたことはあるけど意味ははじめて知った。
抱き枕って言うと、一般的には、抱きついて寝ると安心できる枕・・という意味だと思っていた(これは「ダッチワイフ」に相当するのだろう)けど、愛玩用の抱き枕っていう意味もあるとは。
ラブドール・・
なんとなくロマンチックな響き・・

それにしても、写真の(http://www.amazon.co.jp/gp/reader/486238093X/ref=sib_rdr_ex?ie=UTF8&p=S00O&j=0#reader-page何ページ目かの・・)ラブドールすごいです。リアルすぎ・・
ちょっと造形士になってみたいかも・・と思ってしまった。
こんなリアルな人形を精魂こめて作ってみたい。(以前、リアルな手の像を作るのに入魂したことがありました・・)

2008.09.0101:58

「女神」

三島由紀夫の短編集「女神」。
先日部屋を整頓していて掘り出してきたやつ。(ちなみに本の大半を捨てるか売るかすることにした。でも重いからどうしていいか分からず手をつけていない。)

・・
三島由紀夫のは「豊饒の海」シリーズがめっちゃ好きだったので、好きな作家だったのですが、
この小説はあんまり好きじゃないかなぁ。。
美しい人、貴族趣味・・がここではなんだか嫌味な感じ・・

けれど、三島由紀夫は醜形恐怖症だったとか聞いたことがありますが、
その心性が読んでてよく分かる気がしました。
彼の、美しい顔、姿かたちに対する執念は、ただならぬものがあります。
(なんだかとても親近性を感じます。・・)

私の、共感できるというか住んでる世界の近い著名人といったらニーチェと三島由紀夫ですが、
二人とも、私と同じで対人恐怖症で醜形恐怖症だったらしいです。

不思議なことです。

彼らの作風は死ぬまでずっと一貫していますが、
それを考えると、やっぱり病気は死ぬまで治らないんだなぁ、生まれてから死ぬまで付き合っていかなきゃならない運命なんだなぁ・・
と感じます。

・・
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